刀鍛冶日州景正
私は1989年(平成元年)以来刀鍛冶としてこの日向市で活動している刀鍛冶です。
1995年(平成7年)から昨年2021年(令和3年)までは松葉國正として多くの作品を世の中に送っていました。平成7年以前は、景清という刀匠銘でした。
ここ九州宮崎の日向市は、昔から陸の孤島などと呼ばれるほど田舎で、美しい海、白浜と断崖絶壁連なる変化に富んだ海岸、そこにそそぐ清流など自然は最高に美しいのですが、文化の香りは薄く、この地で美術刀剣の作家として生きてゆくことは、なかなか厳しいことでした。
1995年(平成7年)から昨年2021年(令和3年)までは松葉國正として多くの作品を世の中に送っていました。平成7年以前は、景清という刀匠銘でした。
ここ九州宮崎の日向市は、昔から陸の孤島などと呼ばれるほど田舎で、美しい海、白浜と断崖絶壁連なる変化に富んだ海岸、そこにそそぐ清流など自然は最高に美しいのですが、文化の香りは薄く、この地で美術刀剣の作家として生きてゆくことは、なかなか厳しいことでした。
そもそも日向は江戸時代天領だったので、先祖伝来の刀を持った武家というものがほどんど無かったらしく、当然私も日本刀とは無縁の少年時代をおくりました。
刀鍛冶となったのは、まさに運命に導かれたとしか言いようがありません。
足掛け7年の修業の末に帰郷し、この地に鍛刀場を設けたのは平成元年(1989年)のことでした。
刀鍛冶は、武器の製造、管理に厳しい日本では国家資格です。その承認を得るのは最低5年、長い人では10年にも及ぶ修業の末に、厳しい刀匠試験を受けなければなりません。晴れて刀鍛冶として資格を得た日の喜びは、今も鮮明に覚えています。
刀鍛冶となったのは、まさに運命に導かれたとしか言いようがありません。
足掛け7年の修業の末に帰郷し、この地に鍛刀場を設けたのは平成元年(1989年)のことでした。
刀鍛冶は、武器の製造、管理に厳しい日本では国家資格です。その承認を得るのは最低5年、長い人では10年にも及ぶ修業の末に、厳しい刀匠試験を受けなければなりません。晴れて刀鍛冶として資格を得た日の喜びは、今も鮮明に覚えています。
しかしそこから、筆舌に尽くせない、困難な日々が始まったのです。
作刀は本当に難しく、鍛錬の失敗による疵、フクレ(空気の混入)は日常茶飯事、良い地鉄(じがね)を鍛えても焼き入れ失敗ですべてがおじゃん…。
今日まで何とかやってこれたのは、失敗しても失敗しても何度でも作り続けられた強靭な身体があったおかげだったと思います。(仕事で無理に無理を重ねた上、武道鍛錬にものめりこんで、現在の身体はボロボロになってしまいましたが)
当然、失敗ばかりの刀鍛冶は超貧乏。炭や鋼を買い、研鞘ハバキ代を支払うと純益はコンビニバイトより少ない日々が10年くらい続いたのではないかと思います。
この経済的な苦しさに耐えられたのは、私が心の底から日本刀の美しさに魅了され、その美を自ら創作する喜びで満たされていたからでしょう。独立したての頃は貧乏暮らしがあまり苦にもなりませんでした。
作刀は本当に難しく、鍛錬の失敗による疵、フクレ(空気の混入)は日常茶飯事、良い地鉄(じがね)を鍛えても焼き入れ失敗ですべてがおじゃん…。
今日まで何とかやってこれたのは、失敗しても失敗しても何度でも作り続けられた強靭な身体があったおかげだったと思います。(仕事で無理に無理を重ねた上、武道鍛錬にものめりこんで、現在の身体はボロボロになってしまいましたが)
当然、失敗ばかりの刀鍛冶は超貧乏。炭や鋼を買い、研鞘ハバキ代を支払うと純益はコンビニバイトより少ない日々が10年くらい続いたのではないかと思います。
この経済的な苦しさに耐えられたのは、私が心の底から日本刀の美しさに魅了され、その美を自ら創作する喜びで満たされていたからでしょう。独立したての頃は貧乏暮らしがあまり苦にもなりませんでした。
私は今や、世界中に顧客をもって、様々な国を飛び回っています。人種、民族の違いを越えて愛でられる美しい日本刀の作家として生きられているのは、本当にありがたいことで、支えてくれているすべての人に心の底から感謝しています。
それに1000年にわたって、日本刀の美しさを愛で、優秀な刀鍛冶を大事に育ててきた武士の精神は、この国に何百年も息づくかけがえのない文化遺産の一つであると思います。
それに1000年にわたって、日本刀の美しさを愛で、優秀な刀鍛冶を大事に育ててきた武士の精神は、この国に何百年も息づくかけがえのない文化遺産の一つであると思います。
日本刀は言うまでもなく元来、戦いの為の武器です。人の命を容易に断つ鋭さと強さを保ちながら、何百年にわたって美を競ってきた稀有な存在が、日本刀です。
侍の時代の終わりとともに武器として役割が終った日本刀ですが、私たち刀鍛冶が旺盛な製作意欲をもってリアルに生き続けられているのは、日本刀が人間の存在に深く関わる価値を持っているからだと私は信じています。
侍の時代の終わりとともに武器として役割が終った日本刀ですが、私たち刀鍛冶が旺盛な製作意欲をもってリアルに生き続けられているのは、日本刀が人間の存在に深く関わる価値を持っているからだと私は信じています。
Profileプロフィール
刀匠/ 景正
松葉 一路 (Ichiro Matsuba)
- 昭和34年(1959)
- 2月生まれ
- 昭和58年(1983)
- 小林康宏刀匠に入門
- 昭和63年(1988)
- 文化庁第一回作刀実地研修会受講
- 平成元年(1989)
- 兄弟子岡山津山在住の安藤広清師の元で刀匠資格取得・2月1日 美術刀剣類製作初承認
- 平成2年(1990)
- 日本美術刀剣保存協会主催 新作刀展覧会 初出品入選 以降毎年出品落選なし
- 平成5年(1993)
- 同展 努力賞
- 平成7年(1995)
- 同展 努力賞
- 平成8年(1996)
- 同展 刀 優秀賞 短刀 努力賞
- 平成11年(1998)
- ドイツ バドノワイナーにて剣術ワークショップ開催 スイス チューリッヒにて合氣道セミナー開催
- 平成12年(2000)
- 新作刀展 刀 優秀賞 短刀 努力賞
- 平成13年(2001)
- 同展 刀 優秀賞 短刀 努力賞 ドイツ ボンにて講演(日本刀の美と武) スェーデンにて剣術演武ならびに講演開催
- 平成14年(2002)
- 同展 刀 短刀ともに優秀賞 スェーデン ウプサラ オランダにて合氣道セミナー
- 平成15年(2003)
- 同展 特別賞6席 寒山賞 短刀 努力賞 ドイツ バドノワイナーにてエキシビション(作品展とギャラリートーク)
- 平成16年(2004)
- 同展 刀 優秀賞 短刀 努力賞 オランダ アムステルダム スイスチューリヒにて合氣道、剣術のセミナー
- 平成17年(2005)
- 同展 刀 特別賞7席 全日本刀匠会会長賞 短刀 優秀賞 全日本刀匠会主催 お守り刀展覧会 特別賞1席 岡山県知事賞 フランス パリにて叢雲会作品展
- 平成18年(2006)
- 新作名刀展 太刀 薫山賞 短刀 努力賞 オランダ アムステルダムにて合氣道、剣術セミナー フランス ジャパンエキスポにて演武、講演
- 平成19年(2007)
- 新作名刀展 太刀 短刀ともに優秀賞 第二回お守り刀展 特賞4席 福岡市長賞 日向市文化賞 アメリカ サンフランシスコにて講演
- 平成20年(2008)
- 新作名刀展 太刀 特別賞1席日本美術刀剣保存協会会長賞 宮崎県文化賞 第三回お守り刀展 入賞6席 ドイツ バトノワイナーでエキシビション(作品展と講演ならびに演武) オランダ アムステルダムにて剣術セミナー フランス
ジャパンエキスポで演武 講演 - 平成21年(2009)
- 新作名刀展 太刀 特別賞3席寒山賞 短刀 優秀賞 お守り刀展 佳作 アメリカ テキサス州ヒューストンにて講演
- 平成22年(2010)
- 新作名刀展 太刀 特別賞2席 薫山賞 小脇差 優秀賞
- 平成23年(2011)
- 新作名刀展 日本美術刀剣会長賞(特賞一席) 小脇差し短刀の部 優秀賞 新作名刀展 日本美術刀剣保存協会会長賞受賞
- 平成24年(2012)
- 新作名刀展 日本美術刀剣保存協会会長賞受賞
- 平成25年(2013)
- 新作名刀展 日本美術刀剣保存協会会長賞受賞
- 平成26年(2014)
- 新作名刀展 日本美術刀剣保存協会会長賞受賞 無鑑査認定
- 平成27年(2015)
- 無鑑査出品
- 平成28年(2016)
- 無鑑査出品
- 平成29年(2017)
- 無鑑査出品
- 平成30年(2018)
- 無鑑査出品
- 令和元年(2019)
- 無鑑査出品
- 令和元年(2019)
- 5月 平成名刀展 名工選 入選
- 令和2年(2020)
- 無鑑査出品
- 令和4年(2022)
- 宮崎県無形文化財