何でもかんでもランク付けしてマウントを取りたいというように見える一部の韓国人に、日本刀は韓国刀の亜流、コピーに過ぎない、などという論説を唱えている人がいます。無明な日本人のこれまた一部が信じ込まされている、というしょうもない、当事者以外は何の関心もなさそうな議論が実際に存在し、アメリカ在住のある日本人が「日本人は韓国人にもっと感謝すべきだ。日本刀の作り方を教えたのだから。」と上から言われてへこんでいました。もちろんそれは完全に誤りです。
その方にはしっかり説明しておきましたが、私には韓国人の弟子(文俊基)ムンチュンギがいるせいで、私も少し売国奴的な視線を向けられることがありますので、この場で私見をはっきりさせたいと思います。
文君が九州宮崎の國正鍛刀場に入門してきたのは、彼が大学卒業し兵役を終えた直後だったから十年くらい前だと思います。突然国際電話がかかってきて、片言の英語で、ファックス番号を教えろといってきたのです。電話の主は彼の父、退役陸軍中佐の文煕(草冠に完)チュンギの父からでした。
ファックスレターには息子を日本で刀鍛冶修業をさせたいこと、ついては韓国に招待したいことが情熱的に書かれていました。
ちょうどその時、ソウルの高麗大学で日本、朝鮮、中国の古代刀剣展をやっているというネットの記事を見てて、見てみたいなー、と思っていたので渡りに船、行ってみることにしたのです。
日本刀の起源については、日本独自に生み出されというような、珍説があるのは知っていますが、常識的に考えて、日本の製鉄、鍛冶技術のルーツが大陸にあることは間違いなかろう、と思っています。
ただ、豊富な日本の上古刀、剣の遺物に比して、中韓の古剣、古刀の伝世品は非常に少なく、古墳などに埋葬され発掘された原型を留めていないものしか見かけないので、私はかねてからよい研磨を施されメンテナンスされ、例えば王家などにきちんと伝世した中韓の刀剣を見てみたいと思っていました。
それで、この展覧会にはかなり期待していたのです。
しかし展示品は古くともせいぜい15世紀にさかのぼるものばかりです。日本刀のコーナーも古くても室町末期、新刀初期の打ち刀がほとんどだったように記憶しています。かなり落胆させられました。
チュンギは3年ほど私のところで作刀を学んで行きましたが、免許皆伝には程遠い実力です。しかし韓国古代刀剣を復元したいという情熱をもって現在も精進しているようです。彼の家業は刀剣製作販売の店「高麗刀剣」です。そこのホームページに日本刀は韓国から伝わった、という趣旨の記事があるらしいですが、それはほぼほぼ間違いですから、ここに反論しておきます。本人に連絡して掲載をやめさせるよりもこうやって反論したほうが、こういう問題への対処としては正しいと思いますので。
そもそも日本には、上古刀期、平安朝、鎌倉期の健全でほぼ当時の姿を保つ伝世品が、少なくとも数千振りは現存し、現代まで含めると作者名がたどれる刀鍛冶も一説には15万人!日本刀と呼ばれる刀剣は日本のみならず世界中に300万振り以上存在しています。
種子島に伝わったわずか2丁の火縄銃が、20年ののちには日本全土で数十万丁が生産されており、当時世界有数の軍事大国となった歴史的事実がありますから、日本刀にもそんなルーツを想像する人もあるかもしれません。しかしそもそも鋼の鍛錬技術を持つ日本刀鍛冶の数が半端なかったからこそ、決して容易ではない銃器の製造がかくも速やかに普及できたと考えるほうが自然だと思います。
5世紀、6世紀、製鉄技術を持った集団が、韓半島南部から移住してきたであろうことは、遺跡をたどる地道な研究から明らかにされつつあります。
当時の技術はそれを持った人々の移動にのみ可能で、近現代の技術移転と往時のものを同一に考えることはできるわけはないのです。
つまり文字や数字、図形などのデータを駆使して製鉄法を伝授したわけはないのです。製鉄のノウハウを持った渡来人が、日本で採れる鉄鉱石を用いて朝鮮半島と同じ形式の炉を使って製鉄を行おうとしていた痕跡は、中国地方各所に見られます。
その後、100年以上かけて、日本の上質な砂鉄を用いる、現代のたたら製鉄につながる技術が開発されていった経過も、やはり遺跡からたどれるようです。
第一、日本列島の製鉄が韓国起源だというのはは論理的におかしいですね。製鉄の起源は韓半島のそれよりはるか古く、紀元前2000年にさかのぼり、黒海の周囲に居住した民族であるらしい、とわかってきています。
我々の祖先には半島や大陸からの渡来人が多数存在し、彼らは世代を経た時点で古代日本人と完全に同化したはずです。そもそも古代に韓国、日本などという区分などあるはずもなく、文化、文明の伝播はすなわち人の移動の結果でしょう。
ことこのことに関しては、民族的優越感や劣等感など全くナンセンスだと思います。半島でも日本列島でも、製鉄に携わった人々の幾世紀におよぶ懸命の努力の結果、優れた鉄が生み出されるようになった、それでよいではありませんか?韓半島と日本列島の鉄の伝播には200年~数百年のタイムラグはありますが、「だから何?」と思います。
日本列島の風土に合った製鉄法が試行錯誤の末に作り上げられたという歴史的事実は、数百万振りの実存する日本刀がその輝きで証明されています。
もっとも、鉄を使った鍛冶技術も、やはり半島から鍛冶職人が渡来した、と考えるのが自然です。古事記にもわざわざ韓鍛人(からかぬち)についての記述があります。
漢代までの中国では鋼の鍛造は一般的ではなく、武器は鉄製ではなく青銅製が多かったと言われています。古代中国においては「銕」という漢字も使われていましたが、金属の中でもさびやすくもろかった古代中国の鉄は「夷=えびす」とみなされていたのでしょう。早くから高炭素の製鉄が中国で可能であったため、鋳鉄(鋳物の鉄=炭素量が多くもろい)の炭素量を下げ鋼(鉄製品の多くが鋼です。現代の車の鋼板、鉄筋など。刃物、武器ももちろん鋼製です)を生産するのに当時の鍛冶は相当苦心を重ねたようです。
それと匈奴など北方騎馬民族の強さを支えていたのは彼らの使用する鉄器(特に鏃)だったようです。日本列島に伝播した製鉄技術、鍛冶技術に北方系の要素も少なく無いと思われますし、韓半島にも直接製鋼の製鉄技術は当然伝わっていて、中国のそれとは異なる鍛錬技術(精錬法)が既に存在したのかもしれません。
特に半島系の切刃直刀の大刀(たち)から、鎬造りで反りのあるいわゆる日本刀、「太刀」(やはり読みはたち)への姿の変遷は、大和朝廷が北方侵略時、蕨手刀(わらびてとう)を振るって抵抗する蝦夷(えぞ、えびす)との戦いで湾刀の利点を学んだ結果だと考えられます。その、切り刃造り直刀が日本刀へ変遷する過渡期と思われる太刀(毛抜き型太刀など)も現存しています。(毛抜き型太刀の大きな特徴は柄が刀身と共鉄((ともがね))で出来ていることですが、その点に蕨手刀との共通点、それまでの直刀との大きな違いが見いだせます。直刀の柄は後世の太刀同様、木製の柄に魚皮を巻いて製作してありました。毛抜き型太刀は比較的短寸の蕨手刀を圧倒する戦闘力を示しただろうと思います。毛抜き型に真ん中が空洞になった柄は、斬突時の手への衝撃を緩和するためだったのでしょう。その後木製の柄に移行するのも長時間にわたる戦闘では共柄だと手への負担が大きすぎる故であっただろうと、むき出しの茎に布を巻いて縛っただけで試斬を繰り返した経験から類推します。使用時、つまり戦闘時での柄の役割は非常に大きいのです。
はじめてソウルの国立博物館で収蔵展示してある巨大な鉄佛像を見たとき、その鋳造技術の高さに驚きました。日本刀が成立する10世紀~11世紀当時のものです。韓半島の製鉄技術の水準も相当高かったと思われます。
それはしかし、日本のたたら製鉄(直接製鋼法=酸化鉄から還元反応させて得られた鉄(固体)の炭素量が1%前後に抑えられ、そのまま鍛錬=精錬して有用な鋼にできる)とは異なる製銑法(高い温度で還元反応させるので多量の炭素を固溶する。炭素量が多いと融点が下がり液状となりやすい。液状となった鉄は鋳鉄(ずく、ちゅうてつ)とよばれそのまま鍛錬することは難しい。一般的には脱炭させて鋼に変えて加工する。)であったのか、と思います。その辺のことは文献も読んだことはなく、全く知見がありませんが某韓国人研究者の手になる、比較的大きな円形炉に羽口が一個の復元炉を見たことがあります。原理的には現代の高炉に近く、製銑炉であったようです。木炭が燃料であっても炉壁の高さが3メートル、炉の内径が100センチ近くあったようですから、かなりの高温が得られていたでしょう。
日本人は1000年以上前から、舶来品を貴び、物品のみならず遠方からの人々を敬って大事に受け入れてきました。
往時の朝廷でも驚くほど多くの渡来人が大活躍していたことは歴史的事実として記紀などに記されています。そうして数百年かけて原日本人と日本文化が生まれたのですが、これは紛れもなく、この日本列島の自然、風土、霊気によって作り上げられた日本そして日本人そのものです。
鎌倉時代、京の都で活躍した刀工集団「来」は、先祖が渡来系であったことを誇っているのだと思います。しかし日本刀は来派より100年以上以前、大和や古備前、古伯耆などと呼ばれる刀工集団によって、平安時代には確立しています。
技術は人の移動によって伝播したこと、日本刀の姿や、もろもろの特徴(地鉄、刃文)が成立するのに数百年を要していることなどから、日本刀は韓国から伝わったのではなく、日本列島の風土が育てた、美を至上の価値観とするといってもよい日本民族の霊魂が作り上げた、美しさを命題とする稀有な武器であることを是非知っていただきたいのです。
日本刀を愛するすべての人々に。
人類はおしなべてアフリカで誕生した新人類の子孫です。
自分たちはあの連中より優っている、などといういつまらないマウント取りはやめたほうが無難です。